2021年3月号

10年の月日、果たして…

 

 3.11から10年。自然の怒りに原発の水素爆発が加わった、とてつもない大災害、東日本大震災。多くの人が被災し、命を、住み慣れた家を失った。時は流れ、「風化」が始まりつつある中、いまだ故郷が遠く、暗澹(あんたん)とした日を送る人もごまんといる。

 3月。春の山野は草木が少しずつ萌(も)え出し、新鮮な装いを披露する。そんな十年前。誰もがいつも通りに、のどかな“弥生の到来”を信じて待っていた。過酷な日々の始まりになるなど、及びもつかなかった。

 津波による犠牲者は数えきれないほどに達した。親を、夫を、妻を、幼い命を…。沿岸一帯も建物からのガレキで埋め尽くされた。仕事柄、直後に市内の各地区へ出向き、取材、写真撮影などに走り回ったが、やり切れない日々が続いたのを思い出す。

 そして、「安全神話」の原発。爆発事故は現在も社会を脅かし続けている。関連施設のある双葉郡の8町村は、北へ進むほど人の姿はない。当然、生活感も無に等しい。頻繁に出合うのは、列を成して走る工事車両。「荷物」は山積みのままだ。

 浜の自宅が津波で全壊。区画整理事業が終了し、借り上げ住宅からやっと「帰宅」して3年。周辺の環境は一変、なじみの顔も少なく、まるで他地区の様相。安堵(あんど)感はない。「10年の月日、果たして長かったのか、短かったのか」。納得できる答えは誰からも返ってこない。  (編集長)