
特集 | されど、マイウエイ PART.54

自分の道は、ほかの誰のものとも違う。歩む時代も、目的地も、抱える荷物も、周囲の顔ぶれもすべて異なり、同じ体験は一つとしてない。それでも、“舗装道路”とも言える社会の多数派から離れ、自ら道を切り拓(ひら)いていく場合には、それらの差異はより大きくなるだろう。
未知の世界に歩を進める時、支えになるのは強い思い。信念を持って“開拓”し続ける男女6人を取材した。「されど、マイウエイPART.54」
連載 | いわきを辿る! 旧常磐市=炭鉱の隆盛編(上)

本州で最大の産炭地
教育、人材面で多くの功績
いわき市内で最初に石炭層が発見された旧内郷市から始まった本市の“黒いダイヤ”、採炭の歴史は、採炭法の近代化が進むに連れて、深度が増し、石炭層の広がりに応じて市内外に炭鉱が拡大。
新1万円札の顔として知られる、実業家の渋沢栄一らがかかわり、明治17(1884)年に設立された「磐城炭礦株式会社」は同年、現在の常磐上湯長谷地区で採炭を開始。小名浜海岸への馬車軌道を敷設して、海上輸送で石炭を積み出していた。
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