特集 | されど、マイウエイ PART.55
自分の道を歩み始めた時から、敷かれたレールは意味をなさなくなる。同時に、茂みをかき分け、地面を踏み固め、壁を登り、固有の道をつけていかなければならない。当然苦労はある。しかし、心は軽く、表情が明るくなる。好きなことと向き合う充実感は、何物にも代え難い。何より、風のように自由だ。
時には“風の吹くまま、気の向くまま”、やりがいを持って進み続ける男女5人を取材した。「されど、マイウエイ PART.55」
連載 | いわきを辿る!
駅前再開発たびたび
「核」の装いみせているが⋯
「平市」が生まれたのは、昭和12(1937)年6月だった。
その四年後の同16(1941)年12月、日本は第二次世界大戦に突入。平市街地は同20年の3月、7月と2度にわたり空爆を受け、甚大な被害を受けた。
敗戦からの復興を目指して日本は戦後、一丸となって成長への扉を開く。
一環として平地区にも国、県など官公庁関連の出先機関をはじめ、病院施設、企業の支社、出張所、銀行などの金融機関、証券会社なども次々に進出。これに伴い他地区からの人々の流入も年を追うごと増加。
(後々の話だが、「いわきへ行くには、常磐線のどこで降りればいいんですか?」といった、笑うに笑えないような話もあったものだった)
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