
遺留品の処分、なぜ今?
弥生の三月は華やぐ季節だが半面、未曾有の災害、東日本大震災という“悪夢”がよみがえる月でもある。3.11。発災以来、15年目に入ったこの3月、市は、津波遺留品の一部の処理・処分に踏み切ったようだ。理由は劣化など諸々らしいが、この対応、拙速すぎはしないか。
過日、相双地区へ走った。発災以来、15年目を迎えた町村地区の現況取材。東電の原発事故に伴う放射能汚染で帰還困難区域も多い。住民の姿がほとんど見えない中、重機類がうなりを上げ、大型ダンプも頻繁に往来。除染、解体工事などでせわしない。
いわきの場合も復興・復旧は半ばだ。ハード面は別に、市などが回収した“震災遺留品”は約5千点。市の施設や平薄磯のいわき震災伝承みらい館にも保管、展示されている。アルバム、ランドセル、バッグ類など様々だが、一部がこの3月に処分された。
「覆水盆に返らず」。一度失ったものは取り戻せないのは常だが、この1月に同みらい館を訪れ、一家のアルバムと“再会”した人もいた。深い感慨があったろう。今後もこうしたケースが皆無とは限らない。市はデータベースで残していくというが、処分に関してはまだ時を重ねてもいい気がする。
どの遺留品もあの日の災害による悲惨さを訴えている。14年、15年の年月で簡単に割り切れるものではない。一つ一つ、後世につなぐ役目もあるのだ。(編集長)