
特集 | 東日本大震災 5,110日・14年の軌跡(下)移動と変化

東京電力・福島第一原子力発電所の事故が重なり、通常の自然災害とは異なる「複合災害」となった東日本大震災。発災からの14年は、避難者を含めた市民の「移動」と、これに伴う「変化」の歳月でもあった。いわき市の変遷をたどりつつ、“移転”の中で奮闘する人々の動態などを見た。
連載 | いわきを辿る!

道路の改良・整備続く
名物コンニャク作りは今も
地域内の大半が山林で占められた地で、いわき市域の南西部に位置。仏具、明神、朝日山など、標高600〜800メートルにもなる山々がつらなる阿武隈高地に抱かれ、平地の範囲は極端に狭い。
往時、山地を利用してスギなどの人工造林、牧野の草地造成、畜産業も行われ、特産物のコンニャクは現在も営々続けられている。
村の成り立ちは、「明治の大合併」に由来する。
明治22(1889)年四月に施行された「市制・町村制」に伴い、、黒田、南大平の3つの村が合併し、このうちの主要集落を持つ2村の一字をとって「田人村」とした。合併時の戸数は、231だった。
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