2023年3月号

“辛い年月だったわい

「俺はな—、甲種合格だったんだぞ—」。春になると亡父の“自慢話を思い出す。ペナン島から南方へ出征した22歳の父。10余年前、そのペ島へ行ってみた。戦中の欠片もない。今、世界は東西、軍事的脅威に揺れ動く。杞憂程度で済めばいいが。

亡父は、旧日本軍の「マレー作戦」で一兵卒としてマレーシア・ペナン、テニアン、サイパン各島へ。連日、米軍の艦砲射撃を受け、トラック島へ退避。「終日の猛攻撃。食料はタロイモだけ。地獄だった」と、九死に一生のころを話していた。

戦後、77年余。一年前のウクライナへのロシア軍侵攻が引き金になり、世界各国へはマイナス要因ばかりが伝播。政治、経済、人心に大きな歪みや亀裂が深く入り込んだのは周知のことだ。

戦後世代の軽量政治家、ヒラメ官僚たちが、「万が一」に備え、敵基地反撃能力などというお粗末な言葉を捻出し、国民もあきれる我が国。永劫とも揶揄される米への「朝貢」。独り立ちできない所以がここにある。重要案件、めじろ押しなのに。

ぺ島のホテルに2日ほど宿泊し、周囲を巡りながら、父が乗船、各島へ向かった港へ行ってみた。サ島、ト島方角をしばし眺めながら口にした海水は妙に薄かった。「辛い年月だったな」。時折、南方時代の日々を述懐していた父は、今から半世紀近く前の弥生3月7日、黄泉へ逝った。54歳だった。 (編集長)