
特集 | されど、マイウエイ PART.56

「これが自分の道」と直感した瞬間から、歩みは始まる。だが、すぐにやめてしまうと得られるものは少ない。続けるからこそ経験が積み上がり、わきあがる感情と一体となって自分の血肉になっていく。時には人生を変える“節目”に出合うこともあるだろう。
竹に見られる節は、成長の過程で形成され、強度やしなやかさに重要な役割を果たす。それらが大事なのは、人間も同じ。より高く――そんな思いを胸に進む市民6人を取材した。「されど、マイウエイPART・56」
連載 | いわきを辿る!

“商業地”植田が隆盛
成長期は売上高20億超に
商店街の成立は江戸時代では大都市が中心だったが、明治時代に入ると市場経済が活性化し、地方にも及んだ。勿来地区では、植田や窪田の両地域を中心に交易が行われた。
大きな変化が表れたのは、日本鉄道磐城線(現JR常磐線)が開通し、植田、関田の両旧宿に駅が開設された明治30(1897)年。
特に植田は、農林業が盛んな田人、遠野、錦、山田などの地域を控え、陸運と川運を通じて石炭や農林産物などが往来する交通の要所に。このため郵便電信局、銀行、物産会社などが次々開業、商業地の色彩を濃くしていく。
一方、棚倉藩の飛び地をつかさどる陣屋として機能を果たしてきた窪田は、鉄道路線から外れたことで、植田との町勢の違いが明らかになっていった。
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